角山 榮先生を偲ぶ会 施茶席 日時・場所:平成27年3月15日(日) 午後3時 南宗寺塔頭天慶院にて 主催:堺衆文化の会 主宰 谷本陽蔵氏 (株)つぼ市製茶本舗 会長 かねて病気ご療養中の角山榮先生におかれましては、去る平成26年10月15日(水)薬石の効無くご逝去されました。 生前、角山 榮先生には、市民活動において堺の文化、とりわけ「茶の湯」の文化についてご卓見をご教授いただきご指導に与りました。 ここに、角山 榮先生を偲んで、生前、ご教授いただきましたご功績の一端をご紹介させていただきます。 光陰矢の如くではありますが、5ヶ月後の去る平成27年3月15日(日)午後、生前親しくご薫陶をいただいた人々が集いあって角山 榮先生のご生前のご活躍を偲びました。 遺稿 角山 榮「五輪を誘致した お・も・て・な・し」 『NPO法人喫茶人』 No.59 1頁(NPO法人現代喫茶人の会、2015.1.1.) ホームページへの掲載に当たりましては、内容をご確認いただきましたが、文責が私・前田秀一にあることを明記するようご指導がありましたことを申し添えさせていただきます。 |
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平成21年3月30日(月) 午後6時30分〜8時30分 リーガロイヤルホテル堺 トップページ>角山 榮先生の米寿を祝う会>堺‐海の都市文明>CHAの文化>世界の茶の文化 |
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<角山 榮先生 プロフィール> 1921年11月 大阪市に生まれる 1945年9月 京都帝国大学経済学部卒業 1960年4月 和歌山大学経済学部教授 1961年7月 経済学博士(京都大学)『イギリス毛織物工業史論』 1975年4月 和歌山大学長 1980年12月 『茶の世界史』(中公新書) 1987年3月 和歌山大学定年退官 4月同大学名誉教授 1993年4月 堺市博物館長 1997年11月 勲二等瑞宝章受章 2000年2月 『堺−海の都市文明』(PHP研究所) 2001年9月 『生活史の発見フィールドワークで見る世界』(中央公論新社) 2008年3月 堺市博物館長退職、堺市教育委員会顧問就任 <主なる著書作> 著作目録はこちらから |
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<目次> T部: 角山榮先生米寿を祝う会 発起人(敬称略): 島野喜三 小田 章 北側一雄 (財)小谷城郷土館 (社)堺高石青年会議所 NPO法人 自由都市堺・町衆会議 堺なんや衆 堺すずめ踊り協賛会 与謝野晶子倶楽部 大小路界隈夢倶楽部 U部: 角山先生米寿を祝う会 Afternoon Tea Party 発起人: ChaChaCha Salon 代表 宮原美恵 市民活動団体 “堺なんや衆” 顧問 角山 榮 平成17年度 茶の文化の原点 平成18年度 堺発 “もてなし茶会” 平成20年度 角山先生米寿祝記念事業 世界の茶の文化セミナー |
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開会挨拶 (株)シマノ 代表取締役会長 島野喜三氏 | お祝いの言葉 和歌山大学 学長 小田 章氏 | |
戦後、圧倒的影響力を持っていた「大塚史学」への疑問が出発点になり、経済史学の研究の道を歩むことになりました。 当時(1945〜1960年頃)、日本の経済社会の主流をなしていた東京大学・大塚久雄教授を中心とする学説「大塚史学」*1に経済史の立場から反論*2を唱えることは、世の反論を買うことであり、学界において長く冷たい目を向けられることとなりました。 しかし、当時、京都大学人文科学研究所には、今西錦司教授をはじめ京都学派といわれる有能な研究者がおられ、後に国立民族学博物館を設立された梅棹忠夫氏など学際的な研究に取り組む多士済々がおられました。私も、文化人類学の視点から経済史を見つめなおすことを目的として参加し、「生活史」など生活を学問の対象とする領域を発見し「生活史」研究に関する基盤を築いてきました。 *1:大塚史学 イギリスを近代と民主主義のモデルケースと考え、封建社会における農民や手工業者などの直接 生産者が農村工業の展開を通じて自由な商品社会・流通の担い手となり、近代資本主義の発展の 基礎となったとする見解を体系化した。一国資本主義の視点にあり、産業革命を資本主義成立のゴ ールと位置付けた。 *2:反論−角山 榮説 イギリスにおいて綿工業が18世紀中ごろから急激に発展をとげた背景には、イギリス国内における 農村工業とマニュファクチャの発達、一連の紡績、繊維機械の発明、それを企業として成功せしめた企 業家の存在など国内的要因が重要な役割を果たしたことは確かである。しかし原綿の供給を海外から 仰がねばならなかった国際的要因とそのメカニズムを無視して綿業の発展を語ることは出来ない。 つまり、国民経済が編成され、その総体が世界経済となってゆくと体系づける「大塚史学」に対して、 国民経済の形成前、または形成の中に世界経済が存在し、国民経済の成立に影響を与えていると考 える。 グローバル資本主義の視点に立ち、産業革命は新たな世界資本主義経済発展の出発点と位置付けた。 |
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堺市長 木原敬介氏 元国土交通大臣 北側一雄氏 有志代表 三好治雄氏 |
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「堺すずめ踊り連盟」 祝賀の舞 |
煎茶小川流家元・小川後楽先生とともに |
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閉会の辞 発起人代表 奥野圭作氏(大小路界隈夢倶楽部) 発起人一同 |
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経済の発展の結果として、これ以上の発展の望めない物質的に恵まれた最高の暮らし (物質文明の最終段階、高度大衆消費社会)では、文化の発展と平和な心、人と人との 愛の絆のもとで信頼関係の形成が課題となります。つまり、「生活史の研究」が歴史の課 題となります。 生活史の始まりは、1920年代フランスにおけるアナール学派の台頭にありましたが、日本の生活史の系譜は、柳田国男の民俗学(常民の歴史)が草分けであり、現在では、国立民族博物館(1977年開館)による人類学から展開した文化人類学の研究成果が大きいといえます。 1978〜1979年、国立民族学博物館で世界に先駆けて民俗学および文化人類学の共同研究「茶の文化に関する総合的研究」(代表者:守屋 毅)が企画され参加しました。 研究会メンバーは、村井康彦、熊倉功夫、林左馬衛、橋本 実、藤岡喜愛、守屋 毅、佐々木高明、石毛直道、角山 榮等各研究分野におけるそうそうたるメンバーで構成され、私は西洋経済史の分野から研究を担当しました。従って、「茶の文化」の研究に関しては、国内の研究者とは違って日本の茶の文化からではなくヨーロッパの茶の歴史から始めました。1979年2月、3日間にわたり「茶の文化」に関するシンポジムが開催され研究成果を報告しました。 『茶の世界史』(1980年、中公新書)は、その際の研究成果をまとめたものであり、今日の私の学際的研究の出発点となっています。 『茶の世界史』の特徴と貢献は、以下を上げることができます。 1)歴史学における一つのジャンルとして「生活史」を確立した 従来の趣味ないし好事家の手慰み程度の扱いから学問的に独立させた 2)現代のグローバル・ヒストリーの先駆的成果を上げた 茶のヨーロッパへの伝播は、日本の「茶の湯」の文化最盛期に来日したヨーロッパ人の茶の文化へ の感動、畏敬と憧憬、ここから茶の導入が始まった。 3)ヨーロッパ中心史観への批判となった アジア時代の回帰の提唱 文責 前田秀一 |
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参加者から真綿のベストのプレゼント |
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世界の茶畑 ChaChaCha Salon(La me'lange'e)からのお土産 | ||
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