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トップページコンテンツ連雲港市20周年事業第5回徐福祭市民交流25周年訪問団

 
友好都市(堺市・連雲港市)市民交流へのアクセス

20周年(2003年)記念事業 「中国文化セミナー“徐福”」
逵 志保著 『徐福論−いまを生きる伝説』
関西(大阪、京都、奈良)における「秦氏」調査(発表論文)



目次
1.招待状(要旨)
2.訪問団一行
3.訪問日程
4.連雲港市内地図
5.徐福祭記念切手
6.第5回徐福祭
7.徐福祠祭礼
8.「三牲の太牢」供物
9.徐福国際学術研討会
10.表敬訪問&歓迎会

11.市内観光
12.徐福茶楼
13.謝辞



報道記事:
日本と中国
 (日本日中友好協会紙)
 2005年1月25日



「参加報告書」目次:
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 ・連雲港市地図
 ・秦氏調査報告
 ・所感


<招待状(要旨)>
 “徐福”精神を広め、“徐福研究”を深耕することを目的として、カン楡県対外経済文化交流会およびカン楡県人民政府は、2005年9月30日〜10月1日にかけて、「中国カン楡第5回徐福祭」を開催し、併せて「中国カン楡徐福国際学術研討会」および「徐福人文風景写真展」を開催します。
 ここに、「“徐福”の精神を広め中日韓三国の文化交流を推進する」をテーマとして、論文、大会発言、あるいは、関連報告をまとめられて、ぜひともご参加されますようご招待します。
 また、徐福に関係する遺跡、遺構、文物、人文風景および学術研究や記念行事等の写真を9月30日までにお送りください。

 堺日中友好協会 林 昭和嘉会長のご了解をいただいて、堺日中友好協会会員として参加、発表させていただきました。

<訪問団一行>
 訪問に際しては、「佐賀県徐福会」村岡央麻副会長(訪問団代表)のご好意により同行させていただきました。

    

         2005年10月2日(日) 連雲港市駅前広場にて(撮影:馮 涛)
  左から(敬称略)
   神谷侃彦 山口博子 前田秀一 近本輝雄 赤崎敏男 山田専太 村岡央麻 陳珍文 入江紀治


<訪問日程>

 2005年(平成17年)
  9月29日(木)
   10:00 福岡空港発(中国東方航空国際線 MU532)
   10:30 上海浦東空港着(現地時間:時差1時間遅れ)
        上海市内観光(上海外航国際旅行社)
   17:20 上海虹橋空港発(中国東方航空国内線)
   18:20 連雲港空港着 
        出迎え:鞠建春副主任、陳珍文処長、馮涛通訳
   19:40 連雲港市人民政府歓迎会(明珠大酒店)
  9月30日(金)
    9:00 中国・カン楡 第5回「徐福祭」
         開会式、徐福祭典演劇3幕「始皇帝東巡」、「徐福祭海」、「揚帆東渡」
   11:00 徐福祭礼
(カン楡県金山鎮徐福祠)
   15:00 徐福遺跡、関連写真展
   16:00 カン楡県金山鎮人民政府訪問
         徐福茶楼、徐福茶園見学
   17:30 カン楡県金山鎮人民政府歓迎宴(金山鎮接待処)
  10月1日(土)
    8:30 カン楡 「徐福国際学術研討会」
         発表者 計18名(内:日本3名)
            前田「関西(大阪、京都、奈良)における秦氏調査」発表

   12:00 カン楡県人民政府歓迎宴(カン楡賓館)
   14:00 連雲港市内見学(徐福立像、百貨店)
   16:00 連雲港市テレビ局見学
   18:00 連雲港市テレビ局歓迎宴(万庭芳酒店)
  10月2日(日)
    9:00 連雲港市内観光(連雲港港、神州第一長堤、連島鎮)
   12:00 市民家庭訪問1(趙紹友先生:新海試験中学校長)、昼食歓迎
   14:00 連雲港市内観光(孔望山、連雲港市駅、スーパーマーケット)
   17:00 市民家庭訪問2(連雲港市対外友好協会副会長)、夕食歓迎
   22:55 連雲港空港発
           (中国東方航空国内線)

   23:55 上海虹橋空港着 
        上海・建工錦江大酒店泊
  10月3日(月)
    9:50 上海浦東空港発
        (中国東方航空国際線MU517)
   12:15 福岡空港着 
        14:10発ANAにて関西空港へ


 
印:訪問地 南(下)より、連雲港市中心街、カン楡県、金山鎮(徐福祠所在地)
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<第5回「徐福祭」>

  
 
                       開会式 挨拶
左より(敬称略)       中国徐福会長      中国徐福名誉会長
  村岡央麻   孫栄章     劉智剛    王建華     李連慶     劉永忠             翁新
佐賀県徐福会 カン楡県書記長        連雲港市書記長        連雲港市長          カン楡県
   副会長  連雲港市徐福会長                                        投資代表


秦帝国は、六国(魏、韓、楚、趙、燕、斉)を一掃して全国を統一した。  秦(CHIN)⇒CHINA(中国)
始皇帝は役人100人を従え、東の国・斉を巡行し海に感激し「東秦門」を建て、徐福に儀式の主宰を命じる



 多数の童男童女と技術者を伴い、東海へ船出

平原広沢の地(日本)にて王となりて帰らず
 
徐福は、始皇帝の命を受け、帆を揚げ、危険を恐れず東海へ船出。中国の文明を韓国、日本へ伝えた。


徐福立像台座銘板


「徐福村」碑             「徐福故里」碑


徐福祠全景


先祖徐福之神位


「三牲の太牢」のお供え物
(左から、羊、牛、豚)


韓国・徐福祭礼(海岸にて「三牲の太牢」お供え)


李 連慶中国徐福会名誉会長  張雲方教授(国務院発展中心)
徐福祭記念揮毫


「三牲の太牢」のお供え物について


 中国のお祭りでは、太古の時代から、土地の美味しい産物をお供えしてお祭りする風習があった。
 新石器時代から、シャーマニズムの風習として、太陽の神、大地の神、海の神を崇めるために、「牛、羊、豚」の「三牲」を最高のお供え物(「太牢」)として神に捧げた。
 先秦時代では、野菜の栽培は普遍的でなく、「膳」は肉類を主体に加工したおかずを意味しており、もっとも主要なものは、牛、羊、豚で、その次が犬であった。
 しかし、後世には、牛は農作業の役務として使い、飼育するのに時間がかかるので貴重動物とされ、天子の御宴のみに供えられた。羊は羊毛を取る衣料獣として飼育され、諸侯へのお供え物とされた。飼育の早い豚は大夫のお供え物とされ序列がついた。その後、食用として一般化され、古代では、子豚が上質の贈答品として扱われた。
 豚は、毛を綺麗にそぎ落とし、ゆでた豚の首を祭壇の一番前にお供えする。豚は、多産、多幸、家庭の幸せのシンボルで、水の神様の使いとして雨乞いや洪水よけのお祈りのお供え物とする習慣もある。
 『西遊記』の猪八戒の前世は、水軍を率いる大将だったとの伝説もある。
 その後、「三牲の太牢」の枠を超えて、鶏、魚、果物、野菜類など、その土地の産物をお供えしてお祭りするようになった。
 この風習は、韓国にも伝わり、現在においてもほぼ同じ形で引き継がれている。日本では、沖縄に、「豚肉正月」の風習がある。

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<徐福国際学術研討会>





 中央左から
        張良群主催責任者  
           劉智剛中国徐福会長
                   孫栄章連雲港市徐福会長
                           李連慶中国徐福会名誉会長

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テーマ:「関西(大阪、京都、奈良)における秦氏調査」
<表敬訪問および歓迎宴>



 連雲港市人民政府 楊少華副市長へ訪問挨拶

     2005年9月29日(木) 明珠大酒店



      
       連雲港市人民政府歓迎宴

      酒席にヨーグルトが出ていた


カン楡県金山鎮人民政府表敬訪問(9月30日)


金山鎮人民政府歓迎宴


カン楡県人民政府歓迎昼食会(10月1日)


耿 副書記


連雲港市テレビ局表敬訪問・見学(10月1日)


表敬訪問記念写真(元局長:張良群先生)


歓迎宴 揚増泰局長と乾杯


張良群先生より改めて歓迎のお言葉をいただく


家庭訪問(10月2日) 歓迎昼食


新海試験中学校校長 趙紹友先生宅


家庭訪問(10月2日) 歓迎夕食


連雲港市対外友好協会副会長 李東良先生宅
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<市内観光>
  

「連雲港市」


 
   はるか連島に夢かける「神州第一長堤」遠望



新亜欧大陸橋東端起点 李 鵬元首相揮毫

 当初は、現在の市の中心市街地に残る地名「海州」(古くは、「古城海州」)と呼ばれていたが、1933年オランダ人の渡来によって開港され、港湾都市として注目されることとなった。「連島」と結び付けて「新海連市」と言われた時期もあった。
  さらに、約50年前、「連島」に加えて江蘇省の最高峰で、麓には、孫悟空の誕生地として『西遊記』の舞台にもなった花果山がある雲台山(海抜625.3m)の「雲」と「港」を併せて「連雲港市」と現在の名称になった。
  連雲港市は、中国沿海の中部に位置して、市の下には四つの「県」(北から、カン楡県、東海県、灌雲県、灌南県)と市の中心街の三つの「区」(海州、新浦、連島)がある。さらに、国家クラス経済技術開発区と輸出加工区を管轄している。
 総面積は、7,444平方km、人口465万人で、その内、市内中心部の人口は70万人である。
 連雲港市の特徴は、
  @新ユーラシア・ランドブリッヂの東端都市(オランダまで、10,900km)
  A1984年に、最初に開放した14沿海都市のひとつ(1983年堺市と友好都市提携)
  B新興工業都市(中国東部の重要なエネルギー基地:火力、原子力発電300億kw)
  C徐福および孫悟空が生誕した文化発祥地
  D観光都市(黄海、花果山(雲台山)、温泉、水晶、玉入金竹、『西遊記』、『鏡花録』

「孔望山」


  
   孔望山は、規模の広大な「漢文化」博物館




孔望山仏教摩崖石刻像

 中国の伝説によれば、連雲港一帯は、東夷ゆかりの地で、東から昇る太陽を崇拝し、鳥の岩絵(岩石彫刻)は、今から5000年以上前、新石器時代のものといわれている。
 連雲港市の市街地の南側郊外に、春秋時代の思想家で儒教の創始者・孔子(紀元前551〜前479頃)が登って海を見たという山がある。その山を、孔子にちなんで「孔望山」と言う。
 孔子は、この山に3回登ったといわれているが、当時は、海に突き出ていて、陸上は人為的な危険が有るため、それを避けて自然の危険を覚悟の上、海上から2回登ったと言われている。
 孔子が、それほどまでに、この地に関心を示したのは、「鳥の名を官位」とした東夷の習慣にあり、それは、孔子にとって整然とした「秩序」のシンボルであったと言われている。
 孔望山は、規模の広大な「漢文化」の博物館と言われている。
 「中国通信社」(2005.10.03〜10.09)号が、全容を含めて大変興味あるニュースを報道していたので、了解を得て報告書に引用させてつただいた。

 (中国通信=東京)南京1日発新華社電によると、江蘇省連雲港市の孔望山仏教摩崖石刻像から銘文が見つかり、摩崖像が彫られた年代が西暦61年と確認され、これまで考えられていたより100年余りさかのぼることとなった。これについて専門家は仏教がインドで誕生し、その後、西暦の初めに海から中国に伝 連雲港市仏教協会長 昌 禅師
わった可能性のあることを示していると指摘した。

「徐福村」


   
     「徐福茶楼」 おもてなし処




金山鎮張永信書記と「徐福茶」で乾杯

 1982年、中国大陸全体の地名調査の際に徐福村が発見され、その後の考古学的な調査の結果、江蘇省連雲港市カン楡県金山鎮徐福村が発見され、さらに、考古学的な調査を踏まえて徐福の生誕地として考証された。
「金山」の地名の由来は、金山域内にある小さな山の土が赤く、表層に雲母が含まれ山全体に分布していたため、昔の人たちは、これを「金」と勘違いして「金山」と名づけたと言われている。
  金山鎮は、地理的には、江蘇省と山東省の省境に位置しており、東は黄海に臨んでいる。面積68,76平方km、人口4.6万人の町で、四季がはっきりしており、住み心地が良く、山と川に恵まれ魚と塩の恵みに預かっている。
 農産品加工、精密加工および玩具加工など鎮工業区が整備され、現在10社が稼動しているが、肥沃な土地、豊富な水資源、四季がはっきりしている気候は、果樹林、野菜畑、桑畑、茶畑など金山の特徴ある農産物を育んでおり、さらに、鶉や肉食豚の養殖地としても有名である。
 徐福茶園で採れる茶を、徐福の故里の名にちなんで、「徐福茶」と名づけた。
 「徐福茶」は、「葉っぱが厚くて、味が濃く、香気高く、泡が立ちにくい」という特徴があり、中国北方地域の濃厚な飲茶(ヤムチャ)の習慣に適しており、「長江以北第一のお茶」と称えられている。その品質が評価されて、江蘇省第9回「陸羽(*)杯」を受賞し、新創銘茶と言われ広く愛飲されている。

 *:陸羽(733〜804年):
    著名茶学家。茶神、茶聖、茶王、茶仙、
    茶祖などと呼ばれた。
    世界最古のお茶に関する本『茶経』の著者。
    中国茶のすべてが、この『茶経』に書かれた7千文字に凝縮されている。


<謝辞>
 今、ここに報告書を完成してみますと、出発前の不安をぬぐって余りある達成感に浸っております。
 この達成感を得るに当たっては、多くの方々に大変お世話をいただき、また、励ましのお言葉をいただきました。僭越ですが、ここにお名前を記して厚く御礼申し上げます。

   中国徐福会会長 劉智剛先生、副会長張良群先生
   連雲港市カン楡県人民政府書記長兼連雲港市徐福会会長 孫栄章先生
   連雲港市人民政府副市長 楊少華先生
   カン楡県人民政府副書記 耿 芳先生
   カン楡県金山鎮人民政府書記 張永信先生
   連雲港市テレビ局長 揚増泰先生
   新海試験中学校長 趙紹友先生
   連雲港市対外友好協会副会長 李東良先

   連雲港市外事弁公室 副主任鞠建春先生、処長陳珍文先生、通訳馮 涛先生
   連雲港市国際税務管理処 徐廣影先生
   堺日中友好協会会長 林 昭嘉様
   堺市市長公室国際文化部部長 溝口勝美様、課長坪井弘和様
   作家・翻訳家 池上正治様
   佐賀県徐福会福会長 村岡央麻様
   
愛知県立大学非常勤講師 逵 志保様
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