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「堺市」/「連雲港市」友好都市提携20周年記念事業 トップページ>堺の歴史と文化>連雲港市>20周年事業>徐福論>第5回徐福祭>市民交流>25周年 |
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連雲港市カン楡県第5回「徐福祭」/「徐福国際学術研討会」 逵 志保著『徐福論−いまを生きる伝説』(新典社、2004年) |
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報道記事: 記事1 記事2 記事3 記事4 Adobe社 AcrobatReader 無料ダウンロード 堺市と連雲港市 日中友好協会機関紙 2005年1月25日 映画(カラー): 「徐福さん」 (中国語字幕付) 日中国交30周年記念 文部省選定 外務省後援 中国大使館後援 監督・脚本:岡本明久 Adobe社 AcrobatReader 無料ダウンロード |
市民活動団体“堺なんや衆”では、平成15年12月3日に、堺市が、友好都市・連雲港市(中国)と提携20周年を迎えることを記念して、堺市および堺日中友好協会へ連雲港市に生誕した“徐福”の伝説を「市民交流のテーマ」として掲げ、「中国文化セミナー“徐福”」の開催を企画、提案いたしました。 中国では、“徐福”は歴史上実在した人物として考証され、紀元前210年、秦の始皇帝の圧制から逃れ、東海へ不老長寿の薬を求めると欺き、3000人の童男童女(多数の未婚の男女)、百工(多数の技術者)を引き連れ、五穀の種を持って船出し、日本の弥生時代の文化の成立に多大の影響を与えたと伝えられております。 堺市は、“徐福”伝説には、直接的にはゆかりのないところでありますが、四ツ池遺跡(浜寺)をはじめ、陵西通、南花田、石津町など弥生時代の集落遺跡の存在が考証されており、また、秦の始皇帝の陵墓と並ぶ仁徳陵をはじめ巨大古墳群など古墳時代の世界的な歴史遺産があります。 現在、日本において“徐福”伝説の地は、南は鹿児島県串木野市から、北は青森県小泊村まで20余箇所と言われており、それぞれに伝承的な地域の行事が執り行われておりますが、堺市は、立地的にこれら伝承地のほぼ中央に位置しております。 堺市と連雲港市との友好提携20周年、日中平和友好条約締結25周年を迎えた節目を契機として、今後、さらにグローバルな市民交流のあり方を視野に入れ、「歴史を未来に活かす」視点に立って、むしろ、ゆかりがなく、こだわりのない堺市が、国内各地のゆかりある地域の方々に、全国的な交流と日中韓にわたる歴史・文化研究の成果を交換する「機会」と「場」を提供することを提案の主旨としました。 「堺」・「連雲港」両市の友好関係を軸として、韓国、日本国内ゆかりの地域との複合的な市民交流を図ることを目指すものであります。 図らずも、2003年前半には、世界的に新型肺炎SARSの発症に出会い、準備の段取りが遅れ、開催が危惧されましたが、主催者「堺市・連雲港市友好都市交流促進事業実行委員会」(堺市と堺日中友好協会合同組織)のご尽力により「中国文化セミナー“徐福”」として開催され、市民活動団体“堺なんや衆”も「企画・協力」として参画させていただきました。 「中国文化セミナー“徐福”」 平成15年10月24日(金)午後2時〜4時 於・堺商工会議所大会議室 基調講演: 「“徐福”について」 連運港市徐福研究会副会長 張良群 パネル講演: 「弥生時代の使者“徐福”が伝えたこと」作家・翻訳家 池上正治 「“徐福”が求めた不老長寿の仙薬とは」堺市博物館館長 角山 榮 この企画提案にあたり、全国のゆかりある多くの地域の方々からセミナーのあり方についてご助言をいただきました。厚く御礼申し上げます。 また、セミナー準備期間には事前の勉強会を、セミナー後には遠来のお客様を中心として「張良群先生を囲む懇談会」を開催することが出来、さらに、各“徐福”伝承地域の方々、“徐福”研究者、“徐福”にロマンを託しておられる方々など多くの方より「私の徐福感」に関するご投稿をお寄せいただき、内容を充実させた報告書としてまとめ上げ、主催者に提出することが出来ました。大変有難いことと厚く御礼申し上げます。 |
<参考> 吉田靖雄2004「近年中国における徐福研究の盛況と『史記』記事の吟味」 vol.53、no.1、p.51、大阪教育大学紀要 |
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