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トップページコンテンツホームステイ徐福論堺・連雲港友好20周年事業第5回徐福祭


中国・国家行政学院研修生ホームステイ

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 2,214年前(紀元前210年)秦の始皇帝の命を受けて、童男童女(未婚の男女)3,000人が、方士“徐福”に伴われて、中国の東海の彼方にある三神山(蓬莱、方丈、瀛州)の国・日本へ不老不死の仙薬を求めてやってきたと伝えられています。連雲港市徐福像
 時は、あたかも弥生時代、水耕稲作をはじめ金属器(銅、鉄器)鋳造技術など日本の“クニ(国)”づくりと文化の成立に大きく貢献したと伝えられ、“徐福”は、現在もなお、日本全国20箇所の伝承地において尊敬され、崇められています。
 昨年、堺市と中国・連雲港市との友好都市提携20周年記念事業として、連雲港市に生誕した“徐福”の伝説を市民交流のテーマとした「中国文化セミナー“徐福”」の開催を企画、提案し、開催協力(平成15年10月24日)したご縁で、6月の中旬に、堺市市長公室国際文化観光部より中国・国家行政学院研修生(外務省・アジア大洋州局招請)のホームステイ協力のご相談を受けました。
 平成16年7月4日(日)に来日し、外務省、国会、人事院、早稲田大学での研修、富士通、朝日新聞社、東京都内(含・秋葉原)視察を経て、7月10日(土)午後1時30分、現代の「童男童女」30人が我が堺市へやって来ました。
 1大学から6人程度推薦を受けて登用試験(隋、唐の時代の“科挙”に相当?)を受け、全国(13億の民の国)で30人が選抜され、2年間、中国・国家が将来の上級官僚候補生として行政学院で研修し、その一環として来日したそうです。
 研修後は、国家の命令で行政官僚として赴任(中央、地方を含め)することになっており、大学における専攻には必ずしも拘らず、広く行政職として登用する制度だそうです。
 30人の構成を見ますと1980年および1981年(一人っ子政策施行の年)生まれの人たちで、天下の北京大学法学部といえども1人(女性)しか入っていませんでした。

   

 我が家には、外交官志望の李海軍さん(1980年生れ、天津大学卒)と孫大為さん(1981年生れ、ハルピン工業大学卒)2名をお受けし、10日と11日の昼間の案内は、知人からの要請で呉暁丹さん(1981年生まれ、中国青年政治学院卒)も同行しました。
 折角の機会ですから、古代より栄え、中世の時代には自治都市“堺”として“明”の国との交易に携わり、広くアジアの中心地として栄華をなした“堺”の歴史と文化を知ってもらうことを企画し、日頃、活動を共にしている“堺なんや衆”の会員から大阪府立女子大学に留学している桂紅花さん(2回生:中国・吉林省出身、堺市在住)を紹介していただきました。10日(土)午後からの行程の通訳をお願いし、さらに、我が家での夕食会も共にして成果を挙げることが出来ました。