紀 行 記



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 平成13年(2001年)5月9日、快晴の日でした。
 昭和20年(1945年)9月15日、終戦からちょうど1ヶ月後引き上げ船・興安丸で山口県・仙崎港に上陸して以来、55年ぶりの我が生まれ故郷“韓国・ソウル”への旅に出ました。
 幸運にも、K724の行き先が、子供の頃、海水浴や潮干狩りに連れて行ってもらった思い出の仁川(インチョン国際ハブ空港:2001年3月29日開港)でした。到着時刻には引き潮の時で、昔のままの典型的な遠浅の様子を見ることが出来ました。
 空港には、予め予約していたガイドの“張”(チャン)さんが、出迎えてくれました。
 仁川からソウルまでの約1時間の車中、55年前のあの思い出が走馬灯のように湧き上がってきて、興奮に変わっていくのがわかりました。遂に、漢江(ハンガン:長さ・514Km、幅・1Km)の橋を渡る時は、思わず、ガイドの説明を断わる思いでした。
 改めて、“ハンガン”が韓国の人の精神的な支柱である事を痛感しました。
 “ハンガン”の興奮もさめやらぬ間に、韓国・国宝1号、私にとっても思い出のある“南大門”を巡り、庶民の生活が息吹く“東大門市場”に到着した頃には、そのスケールの大きさとあふれる活気に心も和んできました。夕食の“ブルコギ”の後、ソウル・タワー(標高:約400m)から市内の夜景(101万ドル)を楽しみました。
 京城時代の我家は、コンクリート造り平屋2軒(?)続きの家でした。それは、今も、やっと面影を残す程度に確かに形をとどめていました。
 念のためと思って、近所の人に、予め用意してきた戸籍謄本を見せながら尋ねると、3,4人が集まって来て、「ここは、昔の朝鮮鉄道官舎だった」と確認してくれました。さらに、「このあたりに兵舎があったはずだが?」と問い掛けると「あの高層ビルが、その兵舎の後に建っているのだ」とも教えてくれました。
 父が南方戦線(フィリピン、マレー方面)に応召後、疎開先に引っ越す2年生まで通った龍山国民学校(現・龍山初校)は、すっかり建て替えられ(極く最近の様子だった)、張さんが校長先生に会いに行こうといってくれましたが遠慮しました。丁度、私が引き上げてきた時と同じ3年生児童が来て、写真に入ってくれました。               
 父の応召前は、漢江(ハンガン)の南に住み、応召後、終戦で帰国するまで漢江の北側の小高い丘の上の母子寮に疎開し、対岸の住みなれた龍山へ大橋を渡って旧友に会いに通いました。 
 55年ぶりのノスタルジーへの旅は、ひとしお思い出深いものでありました。

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